「トヨタ『ソアラ』の車窓から見る、80’sの景色」
2022-01-25
1982年式の初代ソアラで大阪から神戸へドライブを敢行。千秋育子(せんしゅう やすこ)さんとともに、バブル時代のクルマをめぐる女性の率直な気持ちを聞いてみました。
1980年代って、どういう時代だったのだろう。
70年代半ば生まれよりあとの世代からすると(筆者は1975年生まれの46才)、当時は子ども、もしくは生まれていない時代になるので、その時代の空気がわからない。
『“クルマでモテた時代”ってホントなの?』というコラムを以前に書かせてもらったときには、男性の先輩と後輩からお話を聞いた。
今回は、女性の見方もうかがってみようと、ある方にお声をかけて、なんと、1982年式の初代トヨタ「ソアラ」で大阪から神戸へドライブを敢行した。
「ピタピタの服とか着てました?」
「ピタピタ? 当たり前に着てたな」
「ボディコンですね」
「みんな、あ・た・り・ま・えに着てたし、ヒールも絶対高かったし」
「髪型はソバージュでした?」
「ソバージュももちろんしてた。みんなムースを髪につけるんやけど、月に一本使ってたからね。わたしはそんなに使わへんねんけど、月一本やで。『ジブン、カチカチやなー』いう会話をした記憶があるわ」
「ディスコ的なところも行ってたんですか?」
「めーっちゃ行ってましたよ。タダ券ももらえるし、それに食事が付いてたから、行ったほうが得じゃないですか、言うたら」
そんな感じでエイティーズを軽快に語ってくださったのは、書家でイラストレーターの千秋育子(せんしゅう やすこ)さんである。
我々は、阪神高速3号神戸線から芦屋に入り、芦有ドライブに乗って、まずは東六甲展望台を目指した。
およそ40才のソアラは完璧にオーバーホールされていて、DOHC6気筒のエンジンは現代のクルマと比べてもさほど遜色のない加速を見せる。車室の幅は狭く、天井は低く、体を両側から押さえ込むレザーシートも相まって、少年のころなぜか憧れた「コックピット」という表現がしっくりくる。
おそらくクルマ好きからすれば、この人馬ならぬ人車一体感がたまらなかったのだろう。
「ガラス、黄色っぽくないですか?」
千秋さんがウィンドシールドを通して空を見ながら気づいたことを口にした。
「いまってクルマによっては青っぽい感じがするんやけど、このガラスは薄茶色のサングラスしてるみたいな……」
「言われてみればそうかも」
確かに、当時のクルマにはUVカット機能はなかったようだ。
「だから昔の人は、顔の片側だけシミになってんで」
「ほんまですかw」
「マジやでw 女の人が『千秋さん見てください!こっち側だけホラ!』言うてきたもん」
ロングノーズが特色のソアラは、長く低く、なんだか船を操縦しているような感覚がある。現代では小回りの利くクルマが運転しやすいとされるだろうが、ソアラは地面に近いところをグーッとまっすぐに進むのが気持ちいい。
「当時は、ソアラとかセルシオ乗ったときに『ちがう♡』みたいな。乗り心地もスムーズやし、めっちゃ静かで、『音楽も声もよく聞こえるやん』みたいなのありましたよ」
「千秋さん、クルマ好きなんですね」
「いや、免許ないから知らんけど。まわりにクルマ好きが多かってん。ただ、ホイールとかなんのこっちゃまったくわからへんし、ハイブリッドカーの意味も理解してへんし、水素カーも乗ったけどなんのこっちゃピンとこーへん」
「むしろ、男性に呆れませんでした? 『なんでそんなにクルマに詳しいの?』て」
「なんか(ボンネットを)パーン開けて、何馬力とか言われてもまったくわからへん。だいたいクルマがなぜ走ってるのかもよー知らんのにw」
「そうですよね……」
「『このGのかかり具合、サイコーやろ!?』とか言われても、ぜんっぜんわからへんし」
さっそくだが、本題とも言える「男はクルマでモテたのか」という質問をぶつけてみた。男の乗るクルマを、千秋さんはそんなによく見ていたのだろうか。また、クルマとその持ち主を同一視するような見方はあったのだろうか。
「そんなことはないけど……。まぁ言い方悪いけど、ある程度ここからここ(クラス)くらいのクルマに乗ってるという意識がありますやん」
「見てますやんw」
「ただわたしは、バブルに乗っかってないんですよ。そんなに恩恵を受けてない。モデルやってたコとかは『あんた得やな』みたいな人はいっぱいいたけど。そんな中で、やっぱり自分のお金で、軽自動車じゃなくて、こういう、なんやったかなアレ、ええとこ突いたクルマがあったんですよ(筆者註:いい感じの自動車をご想像ください)。そういうのを自分で持つってえらいなぁ、と印象よかったんですよ」
親のクルマではなく、若いなりに自分で稼いだお金でクルマを持ち、運転するというのは、男の子を大人たらしめたし、「甲斐性」という目に見えないものの象徴だったのだろう。
ソアラは東六甲展望台に到着。
さすがに冬に標高645mまで上ってくると寒い上、風がきつく、雨まで降りだした。
空は雲に覆われていたものの、大阪のほうまで見渡すことはできた。これが夜なら、光がさんざめく絶景だったのだろう。
「わたしも、何回か来たなぁ」
「やっぱり夜景を見に?」
「そうそう。……あれ、なんやったんやろね、ほんま。ドライブって、今せえへんもんね」
「そうですね。用事がないとしませんねぇ」
人間の、クルマとの付き合いかたというのは、この40年で大きく変わったことは間違いない。
クルマだけじゃない。初代ソアラが発売された1981年がどういう年だったかを振り返るとわかる。
寺尾聰『ルビーの指輪』が大ヒット、田中康夫『なんとなく、クリスタル』がベストセラー、フジテレビ『オレたちひょうきん族』が放送開始。
音楽も出版もテレビも、あらゆるメディアの在り方が変わった。人と人を媒介するという意味では、車もメディアのひとつだったと言っていい。
人との付き合い方が変わったなら、お金の使い方も変わった。
とにかく男性がなんでもお金を出したそうだ。
千秋さんの男友達は、サークル仲間10人くらいの男女で、泊まる部屋を3つ借りて遊んだ際、チェックアウト時にびっくりするような値段の請求が来たという。
「なんでやねん!」と調べたところ、中のひとりの女の子が「アメリカにいる彼氏と国際電話で長話していたから」だったという。
男性陣は「俺たち、なんぼ払うた思ってんねん」と、今にいたっても話すことがあるそうだが、千秋さんは、
「なんで割るん?w」
と不思議なのだという。
「京都にいてて、堺の人に大阪までタクシーに乗せてもらって帰るときに、もうひとり神戸の友達が『アタシもー!』言うて。タクシーチケットだけ渡せばいいじゃないですか。なのになんか知らんけど、わたしまで神戸について行って、それから大阪やから、わたしも時間かかってるけど、その男の人は、お金も払うわ、堺まで帰れるの何時間後?みたいなこともありましたわ」
80年代当時はインターネットが普及する以前なので、テキストメッセージを送り合っておしゃべりをした気になることもない。今よりももっと、人と人が会うこと、集まることに積極的だったようだ。
「〇〇に行こー!」と話題のレストランやイベントに誘い合ったり、「それなら、××君も呼ぼー!」と気軽に声をかけたり、実にフットワークがよかった印象を受ける。
そして、遊びに行ったら行ったで、運転者の男性がデートの相手を家まで送り届けたのはもちろん、仲間たちが複数いても、全員をひとりひとり自宅まで送ったという。
「今思うと、よーあんな何時間も乗ってたな、と思うこともある。海外行って、空港から『送るわー』言われて送ってもらったことあるけど、『あれ? 電車のほうが早いんちゃうかな』とか」
東京に比べて、関西の男のほうが送ってくれたらしい。
「せやけど、ほんま、今思うと、わたし、ほんま失礼やけど……」
「はい?」
「助手席でさっさと寝てたよね」
(ソアラ車内大爆笑)
神戸の繁華街から北野を抜けて、しばらく山道を走り、もうひとつ展望台に向かう。
諏訪山展望台に、かつて多くの若者が、そこからの眺望に憧れたトゥール・ドールというフランス料理レストランがあった。現在は、ジャンカルドというイタリアンになっている。
「焼肉食べ放題の店にならなくてよかったよな……」
千秋さんはつぶやく。
焼肉食べ放題の店は僕も好きだし他意はないが、おっしゃることはわかる。変わってほしくないものというのは誰の心の中にもあるだろう。
「ドライブするときって、男の人はだいぶ気ぃ使うんちゃいます? 何時までに帰りたいとか、この時間帯は渋滞するんちゃうかとか……」
「そうでしょうね」
デートに花束を用意するとか当たり前。男がクルマのドアを開け閉めするのもふつうのことだったのだ。
「きれいな女の子ってね、目的地に着いても、ドア開けてもらうまで座って待ってたもん。わたしなんか、なんも考えずにパッと出てまうじゃないですか。そしたら『あぁ、マナー悪かったな』て思うときありますよ」
若者たちが精一杯の背伸びをして、大人として振る舞おうとした時代であったように、少し下の世代の僕には思われる。
それは、「大人になることに希望があった」のだろう。
「明日はどんないいひとに出会えるんだろう」、「つぎはどれほど儲かるんだろう」、「これからどんなたのしいことが起きるんだろう」……。
取材にあたり、千秋育子さんのほか数人の男女にもお話をうかがったのだが、かつてをたのしそうに語るひとたちはいずれも、いまもたのしそうに生きている。
考えてみたら、僕自身も大人になってから、クルマにもモーターサイクルにも乗ってきたし、新たなよい友人も得たし、ずっとそれなりに目一杯たのしくやってきた。
バブル崩壊からの就職超氷河期、失われた30年の不景気、そして継続中のコロナ禍に鑑みて、ずっとしんどかったと考えれば、それもそうだな、という気もしないでもない。しかし、時代は時代で、僕は僕である。
千秋さんも言っていた。
「みんな『わたしが主人公』やってん」
時代がどんなふうに流れようと、主人公は画角の真ん中を歩き、子どもから大人へ成長しながら物語の中心を生きる。
大人のかたちはひとそれぞれあるけれど、「オトナになるってたのしいよ」とは言いたい。
(了)
著者:前田将多(まえだ しょうた)
1975年東京生まれ、関西在住。コラムニスト/レザーストアオウナー。 ウェスタンケンタッキー大学卒業、法政大学大学院中退。株式会社電通にてコピーライターとして勤務ののち、株式会社スナワチを設立。著書『広告業界という無法地帯へ』(毎日新聞出版)、『カウボーイ・サマー』(旅と思索社)、訳書『寅ちゃんはなに考えてるの?』(ネコノス)
Twitter:@monthly_shota